夜更けのこもれび

自分がなんとなく思っていることを何気なく更新していきます。

ーこれは、栄一の一生の物語である。ー 青天を衝け、感想。

 

今作は、渋沢栄一という1人の人物にスポットを当てながら、幕末から昭和初期という日本の変革の時代を描いた大河ドラマです。

始めに言いたいこと、、、

それは、

この作品、めっちゃ良かった!!

今も最終回を観たその勢いで、書き連ねたくなって書いてます。笑

それだけ、心を掴んできた作品なので、どんな部分が魅力か、私自身の主観と共に、2つのポイントにまとめてみました。良ければ最後まで見てって下さいな。

 

 

 

  1. 大河ドラマに"親近感"を!

今作は、渋沢栄一の歴史を通して大河ドラマあまり知らない層にも、少しでも大河ドラマを観てもらおう、という意図がかなり含まれていたように感じます。

まず、知って欲しいのは、徳川家康徳川家康として、物語を語ってくれます。何を言っているのか、よく分からないと思いますが、初見であれを見たら誰でも衝撃を受けることは間違いないです!

ナレーションという、歴史上にいる訳ではない外的な存在よりも、実在しているのにナレーションのような解説をしている内的な徳川家康の姿に、最初は違和感を感じると思います。でも、徳川家康という歴史上の人物がナレーションでは無い、文字通り"天の声"として視聴者への解説役として置かれていたことで、歴史をあまり知らない視聴者に対しても疎外感を感じさせず、見やすくさせる役割を果たしていたことで、だんだん癖になってきます。

また、徳川家康さん登場のシーンはセットや小道具1つ1つに仕掛けが施されていて、まるで1人舞台かのように演出がされている。演劇をかじっていた時期がある人間からしても、このこだわりのあるシーンは毎回湧いてました。

徳川家康役の北大路欣也さんも、役作りに悩んでいたようです。

北大路欣也 | NHK人物録 | NHKアーカイブス

最初にお話をいただいた時は、徳川家康の姿でドラマをナビゲートするなんて、どうなるのか見当もつかなくて戸惑いました。

丹精込めて作られたこのシーンはSNSでも毎回盛り上がりを見せていました。

 

 

 

2.時代の変化と2人の対比

この物語は、 作中最後まで渋沢栄一徳川慶喜の対比する物語でした。

百姓の息子として成り上がり、批評はありつつも世間から必要とされるようになり、最後まで活動的に働き続けた栄一と、

徳川家の将軍の後継者として、政を任され世間から必要とされていたものの、時代の変化とともに立場を追われ、晩年まで静かな隠居生活をした慶喜

境遇の違う2人が、「世の中を良い方向に導きたい」という考えのもと、奮闘することよってお互いに影響を与え続けていた。

1年間2人が徹底して、対比して描かれていたのが、この作品の特徴であり、面白さの1つとなっていたように思います。

 

まとめ

①で少し触れましたが、近年の大河ドラマは、脚本家さんや演出の選出、話の題材を鑑みても、若年層に大河ドラマを観てもらおう、という意図を強く感じました。

私も渋沢栄一がきっかけで数年ぶりに大河ドラマを観始めましたが、本当に観やすくて面白い作品に巡り会えたので、大河ドラマを敷居が高いと感じず、色んな方にオススメしたい作品です!

 

お時間あれば是非!!

 

彼女はキレイだった、2週目感想。

 

今回は、2021年7月〜9月にフジテレビにて放送されていたドラマ「彼女はキレイだった」について、久しぶりに観た2週目の感想をあげていきます。今2週目観てるとか、観てないけどネタバレ有りで感想観たい!っていう人に共感して貰えるといいなと思います。

 

 

実際に1週目を見終わってから1ヶ月近く経ってるため、細かいところを忘れてて所々初見みたいな感想もあるとは思いますが、そこは悪しからずお願いします。また、基本メモのように書いていくため、文脈はあまり無いかもしれませんが、そこもお手柔らかにお願いします┏●

それではやっていきます!

 

 

 

1話

愛ちゃんの就活中の件、自分の境遇と重ねてしまってグサッときたな……自分も頑張んないとと。


帰国後の宗介のカッコ良さ、振り切ってます。総務部呼びから呼び名変わった瞬間に愛への気持ち爆発するやつじゃん。


梨沙、基本いい人です。家で愛とやかましく騒ぐ感じが、親友っぽい。良い。


この時の樋口くん、もう愛に惚れてるよね。職場に愛がいるとき樋口くん、愛のこと結構目で追いかけてるように見えるし。


<まとめ>

所々、日本でこのシチュエーションってあんまりなくないか?って思うところは結構あって、韓流ドラマのリメイクだなって感じるところは割とありました。

ですが、共感もできて、めっちゃ面白かった。

愛と宗介の過去や、これからの登場人物の関係性に注目!

次回への引きが結構気になる、楽しみ。

 

 

 


2話

宗介は性格に裏表がある訳じゃなくて、あくまでモストのことを想っての行動なんだけど、周りにもストイックさを求めすぎてる故の言動。この部分は、なかなか改善できる部分じゃないから、愛と接していく中で改善していくと宗介の良さが編集部員に伝わるんじゃなかろうか。


愛ちゃん。あんたは頑張ってるよ。“モストにいるの3ヶ月だし。“っていうところは自分が同じ立場になったらそう思うかもしれない。空港に行くところは、宗介にムッとしたけど、その言動に真っ直ぐ愛が言ってくれたところにスカッとした。でもね愛ちゃん、わかってくれ。宗介君のその言動は、モストのことを想ってのことなのよ(2回目)


梨沙、本当の愛との宗介のこれからの関係を考えてる……どこまでも親友想いだけど、自分の気持ちは?是非自分も大切にしてあげてください、絶対ね。

あと私服めちゃかわいいと思う。本当に。(ボソッ)

 


樋口くんは好きな子に対して尽くすタイプなんだろうね。愛ちゃんだから、世話焼きたくなっちゃうのかも。キュンキュンポイントは愛ちゃんに庇って自分水をかけられてるところなんだろうけど、私にとってはその前のところだよ。愛ちゃんの愚痴聞きながら、愛ちゃんのお皿にも天ぷら取り分けてくれてる所。そういう、特にフィーチャーしてないけどサラッと魅せてるところが非常に良い。


<まとめ>

それぞれの関係性の掘り下げが既に始まってきてて、さらに面白くなってくるタイミングだとおもう。引き続き次回への引きが強くて気になってしまう。樋口くんがんばれ。

何気に梨沙と樋口くんに接点ができたことがキーポイントになってくる気がする。

 

10/24追記

3話

愛ちゃんの絵本好きっていう新たな個性が出てきてる。(話題の出し方さり気ない…良き………)エリカ様に雑用押し付けられてるの分かってないくらい、鈍感なんか。今回は宗介に助けられたけど、今後しんどいぞ、その鈍感さ。

 

宗介の咄嗟に出てくるリアクション、あっちが本来の彼です。(誰目線)仕事だからって、かなり神経張り詰めてんだろうな……ストレス溜まるよ。

絆創膏貼ってあげてる時の優しさはきっと、

宗介→愛

は、

上司→部下

の優しさなんだろうね。これはバレた時、宗介が思い出して気恥しいやつですよ笑

宗介の中の過去の愛の存在が大きくて重いってば。

 

今日の頭は梨沙と宗介の関係性についてから。

梨沙は愛に、宗介に会ってること言わなきゃって思いつつ、モヤモヤし始めてるよね。宗介のことで悩む愛ちゃんを見た梨沙、どんな気持ちなのさ。愛にハグされて余計罪悪感ありそうな表情浮かべてるよ。

もう!早いとこ言ってしまいなさい。

 

樋口くんの今回のハイライトはなんと言っても愛ちゃんに告白するところですよ。ここに関しては色々書き連ねておきたい!

愛ちゃんのことを誰よりも考えてるっていうのはいつもなんだけど、それが顕著に出てて。

自分が告白するちょっと前、愛ちゃんが落ち込んでるの察して、いつもより身振り手振りのリアクション大きめにしたでしょ?それと、元気づけるためにご飯誘ってるでしょ?

で、そこからの流れで告白してるもんだから、愛ちゃんからしたらふざけて“告白するふり“もしてくれるもんだから、「優しい人だなぁ」っていう気持ちにブーストかかっちゃってんのよ。ああ、しんどい。そりゃ樋口くん、ため息もつきたくなりますって。愛ちゃんが先に歩いていった時に、見えないようにちょっとだけ困った顔してた。

(この時の服装、ピンクのストライプの上下に水色デニムのジャケット、かなりおしゃれに見える。多分イケメンしか似合わない……(ボソッ))

 

 

<まとめ>

今回はかなり樋口くんのことを書き殴ってしまった……、切ない。

振り返ってみると、ドラマ1時間の中に内容詰め込みすぎでは?メモしながら見てて、こんないっぱい出来事起こってたっけって驚いてしまった。(例:空港でのことによる人物像の掘り下げ、廃刊が愛にバレる、パズルが壊れる等)

秘密の共有(廃刊、愛・宗介が同級生等)互いに知らない関係性(梨沙ー樋口、樋口ー愛等)が増えてきた。

この、お互いに開示されてない情報が今後いつ明かされてくのがだいぶ重要になってくるよ。

その他にも、泊まりの取材のことが話の序盤で出てきてたり、後に繋がる話題が先出しされてたりして、いざ展開がやってきた時に唐突感が無くなるように、布石が意図的に打たれてるように感じた。

 

 

 

 

 

次回以降は見次第追記していきます!

本棚

お題「我が家の本棚」

 

私の家は、電子書籍派がおらず皆紙の本派の民が集結しているため、大きめな本棚がもうすぐ埋まりそうになっています。ギュウギュウです。

使い方のルールとして、その本の所持者に一言言えば自分の本でなくても読める、という風になっているので買わなくても読める本があるのはある意味得かも?ですがこの制度、私が姉に借りることは多くても、姉に貸すことがかなり少ないので、『買うほど読みたい訳では無いけど、気になってる本が沢山ある!』という私にピッタリな制度になっています。

 

本の内訳としては、主にミステリーを好む私とあまりミステリーを読まない姉が共用で使っているので、ジャンルにかなり偏りがありますが、お互い小説はそれなりに持っているため、字が多い本と絵が多い本の割合として、意外にバランスは取れている?かもしれないです。

 

初見の人に「この本棚は1人の人が使っているんだ」と伝えても、多彩な本の趣味を持っていると思われ、ある程度納得されそうな本棚の構成。

そう考えると本棚というのは人間の志向がかなり表れるものだなと、ふとおもいます。

 

 

今年思うこと

 

今年ももう7日目ではあるけど目標を提示しておきたい。文字に起こしておくことで、より強く自分への戒めになると思うから。

今年の目標は即断即決!迷って、躊躇してても何も生まれないと思うから、、、自信はないけど……

でも意識しておくだけでもかなり気の持ち様は変わってくるはずだし、考えてるだけモヤモヤして色々いらんこと考えてしまいそうだし。

 

 

あと目標とは少し違うけど。

 

私の性格?なのかは分からないけど、毎日1個でも多くの情報を入れないとダメだと勝手に思っている節がある。脳が1日に知れる容量があるとして、それを満タンにしないと気が済まない……みたいな感じで。

というのも、学校で習った知識を将来使うかは置いておいて、高校までの間で学校で授業を受けることで、しっかりと勉強をする習慣っていうものが身についてたから、それが無くなって何年経っても、その毎日頭に新しい情報が入ってくる環境を変えられてないということだと個人的には思う。ただ、これは知識を入れられるチャンスであると考えていて、この環境と好奇心で、どんどん色んなジャンルの事に手を出してくことで、生活の中で自然に得た知識+‪αに何か知る事ができて、且つ、脳も情報を入れられて満足できるからメリットしかないと思う。

新たな情報を常に入れようとするハングリー精神は利点として充分自分の武器になるだろうから、今後なにかの場で積極的に使っていけるんじゃなかろうか。

自己肯定

最近、私ってなんなんだろ……って思うことが結構ある。

仕事で動かないといけない時なんかも、場全体を客観的に見て、次何すると円滑に進んでいきやすいとか全然考えられないし、考えられないからなかなか自分から動いていくことが出来なくて結局いつまで経っても指示待ちの状態になってしまう。

座り作業なんかの時にも、それ自体、ある程度センスが必要な作業なのかもしれないけど使って貰えそうなものを作れてないし、パソコンの操作もまだぎこちなくて私今周りにイライラされてれるんだろうな……と考えることも多い。別に空気感がピリついていたりとかは全然ないし、周りの人達も優しい人ばかりで別にそんなこと考えてないのかもしれないけど、だからこそ内心どう思ってるのか気になって、申し訳なくなって、自分が情けなくて……

 

こう、自己肯定が弱い人って自分が出来ない人間だっていうことが根底にあって、それベースで考えてるから、

自分なりに頑張るけど人と比べる

自分を卑下して考える

自信をなくす

すごい人と比べる

 

っていう悪循環を繰り返しててなかなか抜け出せない。

で、私の場合この悪循環に入ると泣きやすくなるから外で考え始めると寝るまで終われない。(考え事をして頭を動かしてる分たかなか寝れない)

 

時々、疲れてる?とか、大丈夫?とか言ってくれる優しい人もいるんだけど、言われると余計泣きそうになるから気にかけてくれていることに対しては相当有難いんだけど、涙の歯止めが効かなくなってしまうから困る。

 

自己肯定感の強い人になる方法が分からない。

テレビ

テレビの放送が見れない。

詳しい人によると、テレビ自体には問題が無くテレビに繋いでいたアンテナ線の方に異常があって機能しなくなっているらしい。それでも何年も使っているテレビだし、テレビ本体にもいつ寿命が来てもおかしくないよな……と思ったり。

使えなくなった当初は、だいたいは配信版で補えるし、そこまで影響は無いかと思っていた(私自身、テレビっ子でもない)。 でも、配信版だとなかなか見れないもの(特撮系とか)がパラパラとある事に気づき始めたり、朝、テレビの音が無い中でご飯を食べることへの違和感があったりと、意外にテレビ使ってたんだなと実感させられた。

巷では"若者のテレビ離れとはよく言ったものだが、テレビというものが生活から完全に切り離される、言ってみればテレビ文化の寿命が来ることは、私にとってはまだまだ先の話になりそうだ。